childhood〜あの頃のように〜

 子供の頃
 自分の認識が確立する前から
 二人は、ずっと側にいた。

 一番近くて、一番遠い距離の中で
 互いに追い求め続けていた。



 窓辺に肩肘を着いて少年は、夕日に染まるグランドを眺めていた。誰かを見ているわけではなく、ただ、ぼーっと見ていた。
 その姿もまたオレンジの光に染められて幻想的な雰囲気をかもし出していた。
 まだ幼い顔なのに、不思議と存在感がある。
 誰もいない教室の中で彼の映っている空間だけ、別の空間であるようだ。
 かたんっとドアのほうで音がする。
「ごめんっ、広紀、遅くなっちゃったな」
 中学生にしては大人びた低めの声で現れた人物は彼に声をかけた。
 ゆっくりと彼、広紀は遅れてやってきた幼馴染みを振り返る。
「遅すぎ。何やってたんだよ、拓ちゃんってば」
 かわいい容姿に合った、まだ声変わりが完全ではないように感じる声で広紀は答えた。
 急いできたということは、彼の完全にセットされた髪が乱れているのを見て、広紀は十分にわかっていたのだ。けど、自分に甘い幼馴染みの彼をちょっといじめてやりたかった。
「…進路相談。広紀…、『拓ちゃん』…って、お前もうその呼び方やめろよ、はずかしいぞ」
(自分が最初にそう呼べって言ったくせに…)
 ぷうっ…と膨れた振りをして、広紀はむごんで、帰る用意をする。
「せっかくまっててやったのに。もういい。拓ちゃんなんか嫌いだ」
 ”嫌い”といわれ、明らかに彼はショックを受けた顔になる。
「ごめんごめんっ、言い過ぎた。好きなように呼んでいいから」
 にやっ…と広紀は薄ら笑いを浮かべる。
(勝った)
 結局はいつも広紀が強いのだった。
 二人は、指定カバンを肩から下げて、家に帰っていった。

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 教室で待っていたのは南稜中学校2年の坂下広紀。そして、後から入ってきたのは、同中学の3年の藤原拓哉である。
 彼らは広紀が生まれたときからずっと一緒にいる幼馴染みなのだ。
 それもそのはず、彼らの親が親友同士で、結婚後も隣に家を建てていたのだから、放っておいても仲良くならないわけがない。
 広紀の母親は彼が8歳のとき、他界してしまったので、今では食事は拓哉の家で食べているのだ。
 それが当たり前になった今、広紀は遠慮することなく、拓哉の家を自由に出入りしている。
 今日も拓哉から『夕食が出来た』という連絡が来て、拓哉の家の食卓で夕食をパクパクと食べていた。
「…広紀、うまいか?」
「んあ?」
 口に物を含んだまま拓哉を見上げて頷く。
 小さく微笑んで、拓哉はじっと広紀を見ていた。
「何?拓ちゃん…」
「え?」
「ジーっとみてるからさぁ、何かあんのかなーって」
 意識しないうちに拓哉は広紀のことを見つめていたのだった。
「あぁ、いや、後で俺の部屋来てくれる?ちょっと話したいことがあるんだ』
 改まって言う拓哉に、この時点で広紀は全く不審を抱いてなかった。
「うん。言われなくても行くけどね」
 へへっ…とわらって、広紀は言った。
 拓哉が不意に見せる切なげな表情に気付くことはなかった。

「あぁーーー!!新しいジャンプだぁー!これ、俺見てないよー。見ていい?」
 いいよ、と拓哉が言う前に広紀はジャンプをぱらぱらと読み始める。
 はぁ…と拓哉はため息をつく。
 その様子に広紀は全く気付かない。ジャンプに熱中してて、他の事は目に入らない状況だった。
 拓哉は仕方なく、広紀がジャンプを読み終えるまで待つことにした。
 −約30分後−
 読み終わったジャンプから顔を上げ、広紀は拓哉のほうを向いて言った。
「で?そういえば話したいことあるって言ってたよね?」
 いきなり話を持ち出されて、拓哉はびくっとする。
「あ…あぁ、それなんだけど」
 広紀には、今更なにを改まって…としか思えなかったが、拓哉がいつもの様子とは何か違うということを肌で感じ取っていた。
 彼が広紀相手にまじめな顔を見せるなんて、何年に一度かという率でしかないのだから。
「それなんだけど…何?」
 何かをいいたそうなんだけど、拓哉は何も言い出さない。
(何、言いたいんだろう。拓ちゃんてば。早く言えばいいのに)
「あ!そうだ拓ちゃん、拓ちゃんは北斗高校行くんでしょ?」
 地区内で一番偏差値の高い北斗高校でも、拓哉は勉強せずに入れるようなよい成績を保っていた。
 だからもちろん、広紀も拓哉は北斗に行くのだと当たり前のように思っていた。その拓哉に勉強を教えてもらっている広紀もかなり成績はよかった。
 拓哉は広紀にそういわれ、しばし黙った。
「−拓ちゃん!?」
「あっ…あぁ、うん」
 その言葉を聞いて広紀は安心した。
 自分も来年は北斗に行こうと思っていたし、北斗なら、今の中学校から歩いて10分の距離にあるので、登下校も一緒に出来る。
 幼くして母をなくした広紀にとって、拓哉は兄であり、親友であり、また、母親のようでもあった。だから離れたくない、という気持ちが強いのだ。
 にこっと笑って、広紀は「よかった」とつぶやく。
 拓哉はじっと広紀を見詰めていた。
 そんな拓哉に広紀が気付いて、目を見たとき彼はふわっと拓哉に抱きしめられた。
「拓…ちゃん?」
 決して、いやではなく、むしろ暖かくて優しい気持ちになった。
 拓哉は今まで広紀を抱きしめたことなんてなかったのだ。広紀が抱きついていったことはあったし、いつも広紀を甘やかすほうだった。
 拓哉から抱かれたのは生まれて初めてのことだ。
 いつもは全く広紀に弱い部分を見せない拓哉であるから、今回のことは広紀にとってなんだかうれしかった。
「…ごめん、もうちょっと、このままでいて」
 か細い声で拓哉が言う。
 このとき、拓哉が年上に見えなかった。
 まるで道に迷った小さな子供のようであった。
「うん、いいよ」
 じぶんでも拓哉の役に立つことが出来る。
 自分だけが拓哉を必要としているのではなく、彼にとっても広紀が必要であると思うことが出来た。
 広紀は拓哉の背中に腕を回した。
 二人の体温は重なり、上昇して行った。
 結局、拓哉は『話』が何のことだったか最後まで言わなかった。



 相変わらず、部活や進路のことで忙しい拓哉を、教室で広紀は待っていた。拓哉が来る時間まで待っていると、いつも広紀が一人で最後まで教室にいることになる。
 いつもと同じように窓側の一番後ろの席で外を眺めていたが、今日は雪が降っていた。
 昨夜から降り続いている雪は地面を30センチ以上覆っていて、一面白く輝いていた。
「な〜にたそがれてんの?」
 かわいい声が後ろから聞こえる。
「……雪ねぇ?」
 雪ねぇ、といわれた女の子が教室へと入ってくる。
 後ろから広紀にぎゅっと抱きつく。
 広紀も別に驚くでもなく平然としていた。
 彼女に抱きつかれることよりもこの前、拓哉に抱きつかれたことのほうがびっくりしたのだ。
 それに彼女は自他共に認める抱き付き魔なのである。
「なんだよぉ〜。雪ねえは進路決まったのか?気楽そー」
 私立の女子高に推薦で合格した彼女はもう暇なものだった。
 彼女は浅井雪子といって、広紀と拓哉のもう一人の幼馴染みなのだ。
 広紀が我侭をいえるもう一人の人であった。
 そして拓哉と対等に言い合える唯一の女の子なのだ。
「失礼な言い方ね!そんなこといってると拓哉にチクルよ」
(なにもちくられたら困ることなんてないやっ)
 ふんっと雪子から目をそらす広紀を雪子はわざと覗き込む。
「じっと見るなよっ」
 にやっと笑って、広紀の頭をくしゃくしゃ〜っと撫でる。
「かわいいわね!やっぱりあんたはっ」
 雪子の手をぱっと払い、乱れた髪を直す。
 広紀は「かわいい」といわれるのがいやだった。
 拓哉もよく広紀のことをかわいい、かわいいというし、そういわれると自分だけが置いていかれるような気持ちになる。
 たった一年の年の差が最近すごく大きく感じるようになって来た。
「ところで、何か用事!?」
 さすがの広紀でも雪子にはかなわないのである。
 あきらめの表情で雪子を見上げる。
「広紀は、寂しくない?」
 ふと、真顔で雪子が聞く。
 何のことを言っているのかわからなかった。
 広紀は、これからもずっと拓哉と一緒にいると信じきっていたから。
「別に。だって何も変わんないじゃん。ただ学校が変わるだけだし。それに来年は俺も同じとこ行くからさ」
 一瞬雪子の動きが止まった。
 それに対して、広紀は全く疑問を抱かなかった。
 きっと高校まで拓哉についていくということにあきれているのだろうと思っていた。
「ねぇ、広紀、知らないの?」
 いつもの雪子からはとても考えられない表情をしていた。
「何が?」
 がしっっと雪子に肩をつかまれる。
「拓哉の志望校…」
「だから、北斗だろ?」
 肩をつかんだ手を広紀の背中に回してきゅっと抱きしめる。
 広紀はわけがわからないまま、あたふたとしていた。
(女の子に抱かれるとこんな感じなのかなぁ…)
 いつもぎゃーぎゃー騒いでる人にいきなり抱きしめられると、なんだか変な気分になる。
(そういえばこの前も拓哉に…)
 思い出すとすごく恥ずかしくて、顔がほてっていくのを感じる。
 広紀は雪子に抱きしめられているのになぜか、拓哉に抱きしめられたときのことを思い出した。
「雪ねぇ?どーしたの?」
 ほんの少し、広紀を抱きしめる手に力を込めて言った。
「拓哉ね、北斗には、行かないの。……もうあいつは合格してるのよ…私立の煉央学園の高等部に決定したの」
「煉央…?……嘘だっ!!だってあいつ、何も言ってな…」
 ポロポロと広紀の瞳から涙があふれていた。
 雪子が困った顔をしながら広紀を見つめている。
「ごめん、やっぱ言わないほうがよかったかな……」
 後悔の波が雪子に押し寄せる。
 雪子の服をぎゅっとつかんで顔を上げた。
「おれっ…拓ちゃんに聞いてくる!!どこにいるの!?」
 半泣きの顔のまま、広紀は不安と恐怖と怒りがぐちゃぐちゃになっていった。
 その広紀がなにをしようとしているのか、なんとなく理解してはいたけど、いってしまった責任と、彼の涙を見て、雪子はあっさりと拓哉の居場所を言おうと決心した。
「ーー進路指導室……」
 その言葉を聞いたとたん、広紀は教室から飛び出していた。
 雪子は広紀の背中を見送りながら、深くため息をつく。
「ごめん…拓哉、いっちゃった……」


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 狭い教室の中に、拓哉と、拓哉の担任の先生が二人で話している。
 本に囲まれたこの教室は古臭いにおいがしていた。
「合格おめでとう」
 先生は何よりもうれしそうに拓哉に言う。
「ありがとうございます…」
 拓哉のほうはいまいちはっきりしない。
 煉央学園はここから約一時間半かかる。もちろん、寮生活になるのだ。
 けれど、拓哉にはそういうことでの不安は全くといっていいほど無きに等しかった。
 ただ、広紀と離れてしまうということだけが胸の中にわだかまりとして残っていたのだった。
「先生も期待してるからな!頑張ってこい!」
「……はい」
 それほど嬉しそうでもない拓哉に気付かないほどに、先生は『合格してくれた』という喜びに満たされて、四六時中ニコニコしていた。






続きます。