Childhood〜あの頃のように〜2


 遠くのほうから誰かが走ってくる音がする。
 その音は、進路指導室の前でぴたりとやんだ。
「ん?」
 先生もその音に気付いたらしく、そっとドアを開ける。
 その途端、先生を押しのけて、拓哉の前に立ちふさがる人物がいる。
「……こ、広紀?」
 かすかに震えていて、瞳には今にもあふれそうなぐらい涙がたまっていた。
 けれど、彼の目は決して子供の頃、いじめられて泣いていた弱い子の目ではなかった。
「……煉央行くって本当?嘘、だよね?」
 嘘だと言ってほしいと体全体で表しているのが手にとるようにわかるのだ。でも、いつかは言わなければならないこと。
 もう決定してる事実で、いつかはわかることなのだから…。
「本当だよ」
 一息ついて拓哉が答える
 どことなく突き放した言い方がなおさら広紀にショックを与える。
「なっ…んで? 何でいってくれなかったの!?」
 拓哉の襟首をつかんで問いただした。
 そんな広紀の行動を見て、先生が二人を引き離す。
「こらこら坂下、お前も幼馴染なら藤原の合格を喜んでやるべきじゃないのか。さぁ、まだ話は終わってないんだ…外に出てなさい」
 追い出される形で、廊下へ出された。
「……なんでだよぉ〜」
 広紀はドアの横に座り込んだ。
 拓哉が遠くに行ってしまうこと、またそれを広紀に黙っていたことが、ショックだった。
 広紀はその場から動く気力さえもなかった。

 がたっ・・・とドアが開く。
 その音に反応して、広紀が立ち上がる。
 ドアのところにたっている拓哉に、今まで見せたことのないような瞳をして抱きついた。
「…広紀…」
 拓哉は震える広紀を優しく抱きしめる。
 彼は広紀がこれから言うであろうことをわかっていた。
 わかっていながらも、彼は広紀の望みを叶えてはあげられないと自覚していたのだった。
 拓哉の胸から広紀は顔をあげて、拓哉の瞳をじっと見つめる。
 あまりにも純粋なその瞳に、自分の意思さえ、希望さえ魅入られてしまいそうで怖かった。
「な・・・んでだよ〜・・・拓ちゃん。…行かないで」
 広紀は瞳からぽろぽろと涙をこぼしながら、震える声で懸命につぶやく。
 ぎゅっと拓哉に抱きついた。
 拓哉はそんな広紀を見て、本当は心が揺らいでいた。
 こうなることは、連央学園に進学を決めた時点で見えていたのだ。
 だけど、いざこうなってみると、動揺していることが自分でも手に取るようにわかる。
 迷いが生じても、もう決定していることをどうすることも出来ない。
 それはわかっているけど、拓哉も広紀も迷っているのだ。
「ごめん…」
 静かに拓哉は答えた。
 この結果を出すのに、拓哉自身、眠らない夜を幾度となく迎え、何度も考えたのだ。
 だからもう変えられない。
 拓哉がそういった後、広紀は腕の力を強める
 それをわかっていながら、広紀が自分からあきらめずにいられないことを言う。
「ずっと…夢だったんだ。……だから、ごめん」
 広紀は何も答えなかった。
 答えることが出来なかったのだ。
 今まで13年近くも生活をともにしてきた彼がそんなことを考えていたなんて全く知らなかったし、気付こうともしなかった。
 知らなかったし、気づこうともしなかった。
 広紀はそっと拓哉から離れた。
 瞳に涙をためたままで、広紀は拓哉の顔を見つめて微笑む。
「拓ちゃん、ごめんね。……頑張ってきてね…お、めでとう…」
 こぼれそうな涙を必死でこらえ、言い終わると同時に広紀は走り去る。
(拓ちゃんの夢、叶えてほしいから…俺は離れるね…)
 走り去りながら広紀はそんなことを心に思っていた。
 けれど、拓哉の胸中は後悔の念でいっぱいだった。自分で決めたこととはいえ、結果的に広紀を傷つけてしまったのだから。
 でも、そろそろ限界を感じていた。
 拓哉は、自分の広紀に対する感情に、今までと違うものを感じていたから、離れなければいけなかったのだ。
 このままでは自分だけでなく、広紀までダメにしてしまうから、会えて、煉央に行く決意をした。
 実際、広紀と離れるのは苦痛以外のなにものでもない。
 拓哉はひとつため息をついて帰っていった。
(これでよかったんだよな…)

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 あれから広紀は変わらなかった。でも、拓哉の部屋に来る数は明らかに減り、何でも拓哉に頼らなくなってきた。
 拓哉にとっては「大人になった」という嬉しい感情よりも、正直さびしいという感情のほうが強かった。
 広紀は無理にそうしているわけで、教室内では広紀のため息が響き渡っていた。
「どーしたの?坂下君」
 クラス一、いや学年一の美少女の中村彩加はいたく広紀を気に入っているようで、何かと話しかけてくる。
 広紀は始めてまじまじと彼女の顔を見つめる。
(ほんとだ、結構かわいいんだ、こいつ)
「いや、別に…」
 すっかりと上の空モードを教室中に振りまいてて「いや別に…」といわれても説得力に欠ける。
「ねぇ、最近藤原先輩と一緒にいないんだね」
「うん…そんなにいっつも一緒にいるのも変だし」
「そっかなぁ…、二人一緒にいるの好きだったんだけど」
 彩加が「隙」といったことで教室内の男の視線が広紀に突き刺さる。
 嫉妬と羨望の混ざった強い視線。
「中村が好きなのは、拓ちゃんだろ?」
「…え?わかった?」
(ま、学年一の美少女が俺のこと好きなわけないよな)
 それはそれで困る、と広紀は思っていた。
 案の定彩加は、拓哉の名前が出た途端頬を赤く染めた。
 そんな女らしい仕草の一つ一つが羨ましかった。
(もしおれが、中村みたいにかわいい女の子だったら、拓ちゃんはずっと傍にいてくれたのかな…)
 拓哉に捨てられたわけじゃない。
 彼の夢をかなえるために自分から離れたんだから、彼に責任はないのだ。
 けれど、もし自分が女だったら、とか、もっとわがまま言わなかったら、彼は遠くに離れていくことはなかったのではないだろうかと考えてしまう。
「なぁ、中村は拓ちゃんと話したいか?」
 ぼそっとつぶやいた一言に彩加は飛びつくように反応する。
「当たり前でしょ!!」
 大きな声で言われ、その勢いに一瞬引いたが、そのくらい好きなんだろうと考えて、広紀の中で納得した。
「……。拓ちゃん、紹介してあげようか?」
「本当!?」
「うん。今日放課後ちょっと待っててよ」
「うん!わ〜い、ありがとーー」
 クラス内の男子が冷たい視線を広紀に投げつけていたが、広紀は全く気付いていなかった。
 広紀の頭の中では別なことでいっぱいだった。
 もし彩加のようなかわいい子が拓哉の傍にいてくれて、拓哉もその子が自分に好意を持っていると知ったら、煉央に行くのを、もしかしたらあきらめてくれるかも、と思ったのだ。
 拓哉が一度決めたことを曲げない正確だというのは誰よりも広紀は知っていた。
 けど、何かせずにはいられなかった。やっぱりまだ自分の傍にいてほしいと思っていたのであった。

「中村彩加さん。拓ちゃんと話したいっていうからさ」
 隣に背の小さく、華奢な彩加をおいて拓哉に会いに行った。
 彩加は髪の毛の下のほうだけきれいにパーマがかかっている。
 ふわっとした印象は、男なら一度はあこがれる女の見本のようだった。
 拓哉も「かわいい子だな」というのが第一印象だった。
「あ…どうも。藤原拓哉です」
 チラッと広紀のほうを見るが、いつもと変わらない広紀のほうがある意味心配だった。
「俺、帰るから、二人でうまくやってよ」
 そう短く告げると、広紀はさっさと帰っていった。
 もちろん彩加には「紹介って言うか、つれてくるだけつれてくるから、後は自分でやってくれよ」といってあったので問題ない。
 いまいちわかっていないのは拓哉のほうである。いきなり昼休みに広紀がやってきたと思ったら「放課後残ってて」の一言だけ言って去っていったのだ。そうしたら、彼女を紹介されて、何の説明もなく広紀はさっさと帰っていくのだから。
「え?・・・あの、どういうことかな?」
 広紀がなにを考えているのかさっぱりわからない拓哉としては、彩加に何があったのか聞くしかなかった。
 彩加のほうはあまりにも近くにいる拓哉にドキドキしながら、どんな経過で今に至ったか細かく説明した。



すいません、まだ続きます…