Childhood 3


 何も出来ないまま、広紀や拓哉は春休みに入った。
 もとより、拓哉においては、三年生だから少し早く休みに入っていたのだが。
 卒業式も、広紀は拓哉と話をしなかったのだ。毎日いっていた彼の家にも行かなくなり、完全に彼との関係を絶っていた。
 その状況に何か物足りないものを感じながらも、これからずっと、この、拓哉の居ない環境になるのだと思い、一人で行動していた。
 外側の雑音を排除するために、広紀はただひたすらとウォークマンから流れてくる音楽に耳を傾けていた。CDシップで自分と拓哉が”ほしい”と言っていたCDを買って、満足げに帰途についていた。
 途中の公園を歩いていたとき、聞きなれた声にふと足を止めた。
(拓ちゃんの声だ……。誰かとしゃべってる…)
 気になって声のするほうを見てみると、拓哉と彩加が二人きりで楽しそうに話しているのだ。
「何だ…うまくやってんじゃん」
 ぼそっとつぶやいた広紀だが、彼の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 拓哉と彩加が楽しそうにしてるのを見ると胸が痛い。
 なんとも言い表せないようなぐちゃぐちゃした感情が生まれてきているのが、広紀自身わかった。
 後ずさりした拍子に雪を踏んだ足の音が鳴る。
 何に対しても敏感な拓哉が、そのかすかな音に気付く。
(やばっ……)
 音のしたほうに拓哉は「誰かいるのか?」と声をかける。
「……」
 じっとその場にしゃがみこんで動かずにいると、拓哉は気のせいだと思って、また彩加のほうを向く。
 ほっとため息をついて、広紀は静かに公園から出る。
(何でこそこそしてたんだろ…俺)
 あんなに二人でいた楽しい日々が、今の広紀にとっては夢のようだとさえ感じた。
 他愛もないことで馬鹿笑いして、いつも傍には拓哉がいて。
 拓哉の顔もまともにみれないなんてどうかしてると感じていた。
 広紀の中で今までと何か違うものがあり、でも何が違うのかはわからない。胸の中にすっきりしないものが出来ていた。
 ただ、拓哉を見ると、彼が不意に抱きしめてきたときの事だけが、頭の中を駆け巡るのだ。そのたびに顔が火照って、胸が締め付けられるくらい痛くなって、どうしようもなくて、泣き出しそうになる。
 広紀は、自分が、まいた種とはいえ、あの頃に戻りたいと切望していた。
 広紀が自分の家の玄関の前について、いざ部屋に入ってみると、そこには先客がいた。
「……雪ねぇ?何で…?」
 広紀の部屋のベッドの上にねっころがって、以前広紀が拓哉の部屋からくすねてきた漫画を雪子が読んでいた。
「あ、おかえりー。待ってたのよ」
「…なんで?なんでこんなとこにいるんだよ」
 ばっ、と漫画を取り上げた。
(拓ちゃんのっ…。これしかないんだから…触るなよぉ〜〜)
 うぅ〜っとうなりながら、上目遣いで雪子をにらむ。
「まぁまぁ。…拓哉のことでね、ちょーっといっておきたいことがあったのよ」
 拓哉の名前を聞いた途端、広紀の胸は大きく高鳴った。
 それをわかっているのかいないのかは全く不明だが、雪子はまるで広紀には話しを聞く”権利”ではなくて、”義務”があるかとでもいうように淡々と語りだした。
「拓哉が何で煉央にいくか知ってる?」
 いかにも雪子だけが知っているかのように言い放つ。
 なんとなくその言い方にむっとしながらも、平然と広紀は答えようとした。
「『夢』だなんて言い訳よ」
 いつもになく厳しい雪子に広紀はびっくりする。
「え?…だって、本人がそういって……」
「大馬鹿者ね!そこに拓哉が言いたことを見出せなかったなんて、幼馴染みとはいえないわ。ただ甘えてるだけなのよ」
 広紀は一番言われたくないことをいわれた気がした。
 ただ何もかもを拓哉が離れていくことのせいにして、何もしないですべて諦めて……。
 多分雪子が広紀に言ったことは的を得ているはずだ。
 それじゃなければ、言われたことに対して広紀が気にすることはないのだから。
 無言でうつむく広紀に、雪子は声を和らげて続けた。
「言い過ぎかもしれないけどね、拓哉の気持ちも考えてあげて。拓哉、本当は北斗に行くって言い張ってたのよ。けど、おじさんとおばさんが無理やり願書出しちゃって…。だから、拓哉自身の意思で行くんじゃないから」
 広紀は信じられなかった。
 彼が言ったのだ。「ごめん、夢だったから」って、そう確かにいった。
 あの頃、拓哉は十分に変だった。
 それなのに広紀は、拓哉のことを何も考えずに、自分の傍にいるのが当たり前だと思って、彼の異変に気付こうともしなかったのだ。
「拓ちゃん…なんで本当のこと……」
 肩が震えてくる。
(俺、何も知らなくて…)
 随分とひどいことを言った。拓哉はそんな広紀をどう思っていたんだろう。
 ため息を一つついて雪子は言う。
「広紀のこと大切だから、弱音は吐けなかったんじゃない?でもきっと、どこかで気付いてほしいと思ってたはずだから、サイン出してたかもしれないけどね」
 雪子にとってはもしかしたら、という例えとしてそう言ったのだが、広紀は思い当たる節があったのだから、彼女の一言はとても重くのしかかってきた。
「俺…大変なことした……」
 広紀の瞳には涙があふれていた。
 そんな彼を見て、雪子は何もいえなかった。広紀と拓哉の間のことは、結局自分は入るべきではないと感じているからだ。彼女はただ無言で広紀を見詰めた。
 広紀の頭の中では「どうしよう」という単語だけがすべてを占めていた。考えたところで自分から拓哉の元へ戻っていくことは出来ないとわかっている今、雪子の言葉は痛く胸に刺さったままだった。

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(明日になったら、もう本当に終わりだ…)
 結局何も出来なかったのだ。拓哉に謝るにしても、拓哉はきっと彩加と一緒にいるだろう。そんなところに無理やり入っていく気はなかった。
 そう考えて、今ひとつ踏み込めないでいるうちに、もう拓哉が寮に入る前日になってしまっているのだった。
「……戻りたいな…、あの頃に…」
 唯一つ歯車が停止してしまった。
 とめたのは誰でもない自分。
 けど、あの頃に戻りたい。そう思うのはわがままなんだろうか。
 溜息と後悔の念しか生まれてこない。
 枕に顔を押し付けて、そんなことばかり考えていたとき、トントンッとノックする音がした。
(どうせ雪姉ちゃんだよな)
 ノックに答えることなく、広紀は枕に顔をうずめたままだった。
 人の入ってくる気配に気付いてはいたが、広紀は一向に動かない。
「……広紀」
 びくっと、体が震えた。同時に体中の血が逆流して頭が痛い。
 何年も聞き続けた一番安心する声がそこにあった。
「……」
 あんなに謝りたいと思っていても、いざ本人の前になるといえなくなるのだ。
 広紀は顔をあげることさえも出来ずにただ動かないでじっとしていた。
 返事をくれない広紀を別に気にした様子もなく、むしろそれが当たり前であるかのように受け取って、いつもと同じように拓哉は話す。
「広紀、紹介してくれたのはありがたいんだけど、彩加ちゃんとは友達のままでいるから……。広紀が一番…大切だからさ。・・・・・・明日、俺寮はいりに行くから、当分会えないけど、まぁ会いたくないかもしれないけどさ、広紀も頑張るんだぞ。じゃぁ……邪魔してごめん」
 拓哉の移動する音がする。
(中村と…付き合ってたわけじゃないんだ……)
 ほっとした反面、拓哉とこれで最後、という気がしてすごく胸が痛かった。
 ドアノブを下ろす音が聞こえて、拓哉の足音が遠ざかる。
「たっ…拓ちゃん!!!」
 がばっと枕から顔を上げて、ドアのところに立つ拓哉を見つめる。
「広……紀?」
 驚きすぎて、いつものかっこいい顔が崩れた拓哉。
 きっとこんなぼけっとした顔を見たら、ファンの子も減るかもしれない、というほどの間抜けな顔だった。
 そんな拓哉と比較して広紀のほうもいつも可愛い顔を真っ赤に染めて、涙目になっていた。拓哉が崩した顔はそんな広紀の顔を見て、という理由ではあったが。
「…っごめん、拓ちゃん…。おれ、何も知らなくて、拓ちゃんにいっぱい酷いこと……」
 こぼれそうな涙を瞳にためたまま震えた声で言った。
 拓哉はドアを閉めた状態に戻して、ベッドの上に据わっている広紀の傍にゆっくりと来る。
 ただ、何よりもつらそうな表情をしていた。
 涙越しに見るその拓哉の顔は、かつて一度も見たことのないものだった。
「た・・・くちゃ…?」
 ふわっとやさしくて柔らかいぬくもりに包まれる。
 何よりも安心する拓哉の匂いと雰囲気に抱かれて、もう当分拓哉と会うことはなくなると思うと胸が苦しい。
 拓哉は切なげな顔を見せる。
「広紀…、ごめんな、こっちこそ……。夢だ、なんて嘘なんだ…。本当は広紀の傍にいたいんだけど、でも……」
「それはいいよっ…仕方ないし……」
 ぎゅっと抱きしめる腕の強さが増す。
「でも、やっぱり拓ちゃんと離れんの、嫌だな…」
 それが広紀の本音だった。
 言いたくていえなくて、迷っていた一言。
「広紀……。広紀のことが好きだ」
 小さな声で拓哉が言った。
 絶対に言わないでいようと思っていたことを、ついに口にしてしまった。心の中で後悔してももう遅い。
 広紀はぽかん、としながら拓哉を見つめた。
「スキって……?」
 いまいち理解していない様子であった。
(今更真剣な顔してそんなこといわなくても知ってるのに…)
 拓哉は広紀がわかっていないと気付き、頭を抱える。
「あー…。んと、広紀が思ってる『スキ』って言うんじゃないんだよな……」
「え?……どーゆーこと?拓ちゃん…」
 本当にわかっていない広紀はきょとんとしている。
 拓哉のほうはわかってくれない広紀にどう説明したらいいかわからず「う〜ん」とうなっている。
「……恋愛感情、かな?」
「−−俺に?」
「うん……」
 赤くなりながらうつむく広紀。やっと拓哉の言っている「スキ」の意味がわかったらしい。
「あ……。あー…と、いいよ、拓ちゃんなら。俺も、拓ちゃんの事好きだし」
 さらに顔を赤く染めた。
 それとは反対に拓哉が驚いた表情になる。
 まさかそんな答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。
「広紀…本当に意味わかってんのか?」
 ちょっとあきらめ気味に拓哉は聞く。
 軽い気持ちで返事を誤られても、後で困るのだ。
「うん。わかってるよ」
 むきになってるところがきっとわかっていないと拓哉に感じさせていた。
 もういいや、と拓哉は深く溜息をついた。
「じゃあ、…明日ま…」
 不意に言葉が途切れる。
 拓哉は自分のおかれてる状況を理解したと同時に、目を見開いた。
 すぐ目の前には広紀の顔があった。
 やさしい匂いと柔らかい感触が拓哉を包む。
 背伸びする形で広紀が拓哉の唇に自分の唇をそっと重ねたのだった。 たった、1秒くらいのことだけど、二人にとっては、とっても長く時が止まっていたような気がした。
 広紀がそっと唇を話す。
「…こーゆー事、でしょ?」
「ーーーーそうだけど……本当にいいわけ?」
 こくんっと広紀が頷いた。
 うれしいような恥ずかしいような、なんとも言いがたい気持ちで胸がいっぱいだった。
 ただ唇を軽く重ねるだけの未熟なキスだけど、二人にとってはとても大切なものになった。
「じゃあさ、俺と離れても平気なの?」
 拓哉が広紀の顔を覗き込むようにしていった。
 その言葉を聞いて、ぎゅっと拓哉に抱きつく。
「やっぱ行かない…ってのはダメ?」
「無理だろ…」
「だよね、やっぱり」
 しゅんとうな垂れる。広紀の頭を撫でながら拓哉はいう。
「あ…、一年我慢できるなら、広紀が煉央に来ればいいだろ?」
 ぱっと顔を上げる。
 拓哉にいわれるまで、自分が煉央にいくなんて考えもつかなかった。
「行く!!俺、絶対、煉央行くから!!」
 真剣な目で誓う広紀がおかしくて、かわいくて、拓哉は思わず微笑んだ。
「じゃあ、週末は広紀のために帰ってくるよ」
 最高の笑みとともに誓いのキスを広紀の右の頬にする。
 広紀はうれしくてたまらなかった。
 自分は拓哉のもので、拓哉は自分のもの。
 お互いが互いを必要としている。
 そんな、当たり前だけど、大切なものを手に入れることが出来たのだった。


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 駅のホームで拓哉は寮に入るため電車を待っていた。
 広紀は別れるのに笑顔でいた。
 その余裕の行動は昨日拓哉が言ってくれた言葉があるからだ。
 悲しいという気持ちがないわけではない。
 でも拓哉は週末は帰ってきてくれるというし、自分も拓哉を追いかけるために、もっと頑張らなければならない。
 悲しんでばかりいられない、というのが現状なのだ。
「なぁに〜〜?何なの二人とも!!何でそんな幸せそうなわけ?」
 疑いのまなざしで雪子は二人を見つめる。
「いや、別に」
「一生の別れじゃあるまいし。ね、拓ちゃん」
 はたから見ても二人の間にはハートマークが飛び交っているのがはっきりわかる。
 広紀は自動販売機までジュースを買いに向かった。
 両親は息子の旅立ちに息子より張り切っていてい、他の事が目に入っていない。
 大きな荷物を持った拓哉の傍にすすっと、雪子が寄っていく。
 雪子と拓哉は顔を見合わせる。
「ねぇ、結局うまくいったのね?」
 興味津々の顔で拓哉に聞く。
「おかげさまで」
「そりゃあ感謝してもらわないと割に合わないわよ。なんせ私がいなかったら、あんたたちはいまだにくっついていないんだから」
 堂々と言い切る雪子。
「そうだっけ?」
「そうよ!私が裏でアドバイスしてあげたんじゃない」
 実は拓哉の行動も彩加の行動も、裏で広紀とくっつくようにシナリオを書いたのは彼女だった。
 拓哉が顔に似合わず、悩んでいたので一肌脱いだのだった。
 感謝してもらって当たり前なのは本当だった。
「はいはい。その点はありがとうございました」
 しぶしぶお礼を言う拓哉だが、いまいち納得がいかない。 はっきり言えば雪子のせいで、広紀と二ヶ月近く気まずい思いをさせられたのだから。
 雪子は満足げに笑みを浮かべて、口を拓哉の耳元に運ぶ。
「どこまで進んだか、逐一報告してね☆拓ちゃん」
 ふっ・・・と、最後に息をかけて、雪子はなれる。
「っ・・・・このっ!!!」
 カッと頭に血が上り、雪子に手をあげようとしたとき、広紀がジュースをもってやってくる。
「はい、拓ちゃん。気をつけてね。人がたくさんいるから」
 にこっと笑って拓哉に言う広紀。
「天使だ……」
「ーーーバカ」
 三人でぎゃーぎゃーとはなしているうちにホームに電車が入ってくる。
 拓哉は車内の指定席に荷物を置いてドアの所まで戻ってくる
 ピーーっと鳴り、発車の放送が流れる。
「それじゃあ、行くから。元気でいるんだぞ」
 広紀は実際に行くとなると、寂しさがこみ上げてきて、涙目になる。
 そんな広紀の頭をくしゃっと撫でた。
「早く帰ってきてね、待ってるから!!」
「…うん。じゃあな」
 シューっとドアが閉まる。
「拓ちゃんっ…!!」
 電車が発車しても見えなくなるまで広紀はその場から動かなかった。

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「ばかっ!こんなのもわかんないのか!?」
 ごつんっと拓哉は広紀の頭を叩く。
 ぶぅ・・・と膨れた顔で広紀は拓哉をにらみつける。
「なんか〜、帰ってきてくれんのはうれしいんだけどね、勉強ばっかじゃん…」
 煉央に行ってから勉強のせいで視力が低下し、拓哉はメガネをかけた。
 その顔で見つめられると不慣れなせいかドキドキが増す。
「……ほかに何すんだよ。勉強しないと連央に入れないだろ?」
(なんか…いいように操られてるきがする…)
「・・・・・・」
 膨れたまま拓哉をさらに睨み付けている。
「この問題できたら…な」
「うん!!」
 広紀は今までの3倍の勢いで問題を解き始めた。



 君に会いに行くよ
 今までもこれからもずっと傍にいるから
 追いかけて、追われて
 新しい道も、君と二人で歩いていきたい
 君がいれば何も怖いものはないから
 大好きな君がいればーーー。

 あの頃のようにずっと二人で歩いていこう

                                             FIN