アイノオト 4
第四章 やっと学校に来ることに抵抗感が薄れてきた。それもきっと、周りを見てみることの楽しさを知ったからだと思う。 城太郎もずっとそばにいて、それを知ってほしかったのだろう。まだ自分があの輪の中に入ることは出来ないけれど、彼らのあの馬鹿抜けた感じも、柔らかい気持ちで見ることが出来る。 これで今は十分な気がした。 一度に無理することはない。自然にいつか変化していくものなのだから。 そんな貴之の姿を見て、第一に城太郎はあからさまに喜んでいたし、クラスメイトは気味悪がりながら、徐々に近づいてきていた。 「しっかし不思議なもんだよなー」 城太郎が貴之の頭をわしゃわしゃと笑顔でかき回した。 前ほど人と接するのが嫌じゃない。特に近しい人だとかなり平気なようだ。ついこの前までの尖った感じは本当に薄れてきていたのだった。貴之は城太郎の笑顔につられて、微かに微笑んだ。 「さ…。笹本。次の数学の宿題なんだけど、わかんないところ、ヒントくれないか?」 まだビクつきながらだが、クラスメイトが話しかけてくる。 「え?数学は……。城太郎のほうが答えをそのまま教えてくれると思うけど?」 言ってる内容は「俺に聞くな」ということだが、口調は全く以前と違うものだった。 「そっか…。城太郎! 答え!」 「おいおいおい、貴之に対する態度とえっらい違いだなぁ〜」 「まぁまぁ、深いことは気にせずに」 そそくさと彼は城太郎の背中を押して自分の席へと導いてい行った。貴之はひらひらと手のひらを振って「めんどくさいけどがんばれー」と心の中でえ笑っていた。 「せんぱーいっ!」 一息つくまもなく貴之のところに声が届く。 なぜか元気のよいその声を聞くと口元が緩んでしまう。 「こんにちわっ、はぁ…」 息を切らしながら走ってきた二人は、窓越しに貴之の席のところにやってくる。 「何でいつもそんなに急いで走ってくるんだよ」 ご飯を食べてからすぐにとんで来たことが、口元についているご飯粒から物語られる。 「だって、昼休み終わっちゃうじゃないですか…」 上目遣いで充は貴之を見て言った。 隣では相も変わらず真澄が笑っていた。 「片桐も、笑ってないで、ご飯粒とりな」 「え!? 俺もですか! ぎゃーはずかしーっ」 ポケットの中からティッシュで口を拭っていった。 「あ、片桐は5月の公演で役者になったんだって?」 「はい。なんだか結構出番あって大変ですよ、もう…」 大変、という割には、顔はとてもうれしそうだ。 きっとやってるのが楽しいんだろうな、と貴之は思う。貴之だって城太郎の話を聞いてて面白そうなメンバーで、面白いことをやるから2倍の楽しみがあるんだろうと思っていた。 「城太郎は今、あっちだよ」 にこっと笑って「待ってようかな」といった。 貴之がこんな雰囲気になれたのは、『彼』がいたから。自分のことを認めてくれる人が、側にいてくれたから。だから、人を信じてみようか、という気になったのだ。 ☆ ☆ ☆ 「…お前だったのか」 貴之は静かに告げた。 春とは言えど、まだ肌寒い。そんな中、一時間近くも薄着のままで彼は立っていた。「くしゅっ…」とくしゃみを繰り返す。 外で貴之のピアノをずっと聞いていた彼を貴之は家へと招いたのだった。 「ずっと…聴いてたのか?」 貴之の入れた熱いコーヒーを両手で抱えて、こくん…と頷いた。 「先輩の音、好きだから…」 「だからってずっと外にいることないだろう? 何で学校にいるときに自分がそうだって言わなかったんだよ」 「だって…、僕が言ったって、聞いてくれなかったじゃないですか…」 そういわれて貴之は何もいえなくなった。 充がくっついてくるのがうざったくて、最近は相手にもせずに放っておいていたし、きつい言葉を投げつけたりもした。 充はずっと貴之を見ていた。それを無視し続けた自分に、充が風邪を引いた原因がある。 まさか、ずっとピアノを聴いてくれてた人が充だなんて、微塵にも思っていなかった。意外な結果に貴之自身もどう対応していいのかよくわからない。 「……聞いてくれませんか、僕が先輩のピアノを好きなわけを…」 まだ熱いコーヒーカップを持ったまま、充は真剣な目で貴之を見ていた。その内容は貴之にとって衝撃的なものだった。 貴之が小学校高学年だった頃、わけのわからないまま父に出されたコンクールがあった。もちろん実力で優勝したものだ。そこで、最終審査に充の兄がいた。そのため幼少の充も会場に来て演奏を聴いていた。 自分の兄が一番上手だと信じて疑わなかった充だったが…。 貴之のピアノを聞いて求めていた音だと、その音に惚れたのだった。 「あのときから、先輩のピアノの音が大切な宝物だったんです」 たまたま通りかかったときに聞こえてきたピアノの音が、あの時の彼のものだとすぐにわかった。充は遠巻きにずっと貴之のピアノを聞いていた。 学校で彼を見つけたとき、どんなに嬉しかったことだろう。 貴之は充がそんなに昔から自分の音を求めていてくれたことが本当にうれしかったのだ。そうとしか言いようのないくらいに。 この時、貴之が今まで充にしてきたことを深く後悔した。 どうしてもう少し早く彼に気付いてあげなかったことか、と。 「ごめん……。謝ってすむことじゃないかもしれないけど…」 頭を下げた。心から感謝しなくてはいけない存在に、してはならないことをして彼を傷つけた。 「いいですよ、そんな。僕が勝手にやったことなんですから。頭なんか下げないでください…」 両手を前に伸ばして、充は頭を下げていた貴之をやめさせる。 「本当にごめんな。…それと、−−−ありがとう。相川のおかげでいろいろと救われたよ」 素直な気持ちで貴之は初めて充に心からの笑顔を見せた。 充はそんなことを言われるとは微塵にも思ってなかったので、顔を真っ赤に染める。思い切り首を横に振って 「いえ…。また聴きに来てもいいですか?先輩のピアノ……」 遠慮がちにそう言った。 「もちろん歓迎するよ」 と笑顔のまま貴之は返した。 そしてやっと自分を救ってくれた彼、充に伝えたかった一言を伝えられたのだった。 この日を境に貴之は徐々に柔らかい印象を与えるようになった。 ☆ ☆ ☆ 貴之は城太郎と二人で移動教室から戻って歩いていた。早く戻らないと、充と真澄が教室へと来てしまうのだった。自然と早足になる貴之を見て、城太郎がほくそえんでいるのは当人は知らない。城太郎にしたら、自分だけに頼ってくれる貴之じゃなくて、心なしか寂しい気もしていたのだが。 『三年C組の笹本貴之君、至急職員室小野の所まで来てください。繰り返します。……』 二人は思わず顔を見合わせる。 「ま、ちび二人も聞いているだろうから、今日は遅く来るだろ」 「そうだよな。…ちょっと行ってくるわ」 授業道具を城太郎に預け、貴之は小走りで職員室へと向かっていった。 「え?」 思わず本当に嫌そうな声を上げてしまった。それにまったく気付かずに小野先生は終始笑顔で楽しそうに話す。 「いやぁ、藤堂にはもう話してあったのだがね、君の父上とも話し合った結果、やはり我が校の代表として君にも一曲弾いてほしいんだよ」 先ほど出来た眉間のしわが戻らない。それどころか一層はっきりとしてきているかもしれない。 「冗談じゃありません! 俺はコンクールなんて出ないですよ!!」 貴之が思わずまくし立てるが、よほど鈍感なのか、彼は已然気にも留めようとしない。 「まぁ、そういわずに。とりあえず好きな曲選んでおいてくれ。楽しみにしてるよ」 断ることは許されないと悟った。 貴之は自分の父親が首謀者だと確信し、先生に文句を言おうと断ることは決して出来ないと理解した。 「は…い」 渋々返事をし、怒りの収まらないまま、職員室のドアを思いっきり閉めた。考えれば考えるほど、貴志に対する怒りがあふれ出してくる。ここは一つ諦めるしかないとわかってはいるけれど、まんまとはめられた自分にもほとほと呆れるのだ。 「……野蛮ですね」 貴之の大嫌いな声が棘を持って放たれる。 「あ?」 怒りが収まりきらないところにさらに火に油を注ぐように夏姫が立っていた。 「こんな人が天才って騒がれるなんて、信じられないですよ」 「呼ばれたくてそう呼ばれてるわけじゃない」 以前の貴之のように冷たく言う。 自分がもっとも苦手で、嫌な人物に優しく接するほど、貴之だってまだ人間出来ていない。 「ま、コンクールの日、楽しみにしてますよ。本気でやりますから」 明らかに挑戦的な瞳をする夏姫。 「−−−そうだな」 彼のピアノに対する想いは自分よりも強いものなのかもしれない。 だから、受けて立とうと貴之は決心した。 そして何よりも、貴之のピアノの音が好きだといってくれた充のためにも……。 ☆ ☆ ☆ 「へぇ〜〜すごいですねぇ、コンクールかぁ……。楽しみだぁ〜」 貴之の不機嫌はお構いなしで、自分の世界にとリップした充がそう呟いた。 相変わらずぶっちょうずらの貴之を見て、周りは結構冷や冷やしているのにいい度胸だ。 「貴之?……コワイ」 眉間のしわに親指を当てて、城太郎が貴之をいつものように戻そうとした。 「あ? あぁ、すまん…。つい、な」 断片的にしか話を聞かされていなかった城太郎としては、貴之が何故そこまでピアノを人前で弾きたくなかったのか、今日初めて知ったのだった。 「上流家庭っつーのも大変だな」 この学園に入学していることで、ある程度裕福な家柄だとは思うが、両親が音楽家なんてのもいるということだ。そん所そこらの家とは違う。 無論それが嫌で、あまり家庭の話題はしなかったのだが。 「本当すごいですよねー。うちなんて俺がここに入ったから弟なんて公立の古いところ行きましたよ」 笑って真澄がそう言った。 「俺は兄弟多いけど、みんな下だからなー。苦労はこれからだ」 城太郎の家も弟が四人ほどいる。一人は中等部に入っている。確か一度だけ貴之と会ったことがあったが、城太郎とは違って、割と儚げな美形だったと記憶していた。 一人っ子の貴之には兄弟のいる生活は、楽しそうで、ほんの少し羨ましかった。 「まぁ、とりあえず頑張れよ! 応援に行くからさ」 家庭に話題に充が触れなかったことは、自分のことで精いっぱいの貴之に、今気に留めてやる余裕はなかった。 |